敷地の中央に建つ大型の土蔵で、切妻造桟瓦葺である。
建ちの高い平屋建で、仕込桶の上から作業が出来るよう高床を張ってある。和小屋の小屋組の下に天井を張り、大丸太の梁を見せる、仕込蔵の特徴をよく備えた、醤油醸造場を象徴する建物である。
建築年代 文久二年・1862年
仕込蔵の西、敷地の中央に建つ二階建ての土蔵。
南に銅板葺の庇を付けた出入口を設ける。内部の壁は板張、小屋組は登り梁として、二階の南北に窓を開いている。白壁が醸造場の敷地景観に寄与している。
建築年代 明治四年・1871年
敷地の西側で、裏座敷の北側に建ち、縁でつながっている。
土蔵造の二階建、切妻造桟瓦葺で、登り梁と和小屋を組合わせた小屋組を持つ。裏座敷を建築後に納戸として使用されるようになったと考えられる。
建築年代 明治中期
敷地の南西隅に位置する木造二階建、切妻造桟瓦葺の接客用座敷で、南北に下屋を設けて縁としている。上下階とも二室の座敷からなり、一階の南室を八畳の主室として座敷飾りを備え、二階北室は窓辺に欄干を設けてある。明治十年の西南戦争では官軍の宿舎になったと伝えられている。
建築年代 明治前期
表座敷の北側に建つ。木造二階建で一階の三方に廊下をめぐらし、上下階とも座敷二室を配する。一階の座敷飾りは平書院の手前に三角形の棚板を付けて付書院風に見せ、床脇の地袋、天袋にも昭和初期らしい凝った意匠が見られる。昭和三十九年まで社長宅として使われた。
建築年代 昭和前期
敷地南東の火入場に残る煉瓦造の煙突。
底部は一辺六七センチメートルの八角形平面で基礎を二段にせり出し、イギリス積みの躯体は高さが一九メートルあった。
福岡西方沖地震によって被災し、現在は高さ九・五メートル。醸造場を象徴する建造物である。
(平成17年の福岡西方沖地震で半壊する前の煙突)
建築年代 大正四年・1915年
敷地東辺の切石積壇の上に建つ、一間社見世棚造、銅板葺で、見世棚社殿には珍しい切妻造妻入とする。簡素な小社ながら細部に時代的な特徴を示している。脇に立つ小賀玉の木も樹齢三百年以上と考えられる。
建築年代 寛政四年・1792年
- 松村家住宅建造物4件
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松村家住宅は紺屋町堀が埋め立てられた跡地、
ジョーキュウと道をはさんだ北側に1936年(昭和十一年)三代目久吉の自宅として建築されました。住宅改良会の設計で近代的に出窓を多く設け、応接用の洋館を門と塀につなげて景観に配慮するなど、
昭和初期の和洋併設住宅の特色がよく現れており、現在も松楠居と名付けて使われています。